ゲノム転写制御機構の全体像の理解を目指しています
その情報を基盤に、細胞システムの理解・応用を目指しています
ゲノムを利用する仕組みを理解する意義
近年の科学技術の進歩により、生物の全ゲノム配列を決定することが容易となり、生物が持つ遺伝子セットの全体像を把握できるようになりました。生物は環境変化や生育に応じて、遺伝子を使い分けています。しかしながら、ゲノム配列だけでは遺伝子が利用される仕組みまでは分かりません。そのため、生物が持つ遺伝子を利用する仕組みを理解する事、すなわちゲノム転写制御機構の解明が、生命科学の先端的課題の1つとなっています。
ひとつの生物を丸ごと理解するためのモデル生物、大腸菌
私たちの研究室では、ゲノム転写制御機構の全体像の解明から細胞システムの理解・応用を目指しています。そのため、1つの生物の丸ごとの理解を目指しています。
そのためのモデル生物として、大腸菌を研究材料としています。大腸菌の研究は長年に渡る歴史があり、個々の遺伝子機能の知見が最も蓄積しており、研究資材も充実しているため、最適のモデル生物です。
生物は微生物から動物、植物に至るまで、共通した分子機構から構成される生命現象は多くあります。そのため、大腸菌の研究で得られた知見は大腸菌を理解するだけに止まらず、様々な生物種における現象や分子機構の理解にも役立ちます。また、大腸菌は物質生産に利用されたり、病原性を引き起こしたりするため、応用分野への貢献も期待されています。
ゲノム転写制御機構を解明するための独自の解析手法、Genomic SELEX法 (gSELEX法)
転写の制御には転写因子やシグマ因子と呼ばれる転写制御因子が関与しており、いずれもDNAとの相互作用を通して働きます。環境変化に応じて、これらの転写制御因子の活性が変化することで、それぞれの役割に応じた制御下遺伝子群の発現が変化し、細胞が環境に応答できるようになります。細胞システムを理解するためには、細胞がゲノムにコードされた遺伝子を利用する仕組み(ゲノム転写制御機構)を理解する事が大切で、そのためには細胞が持つすべての転写制御因子の制御下遺伝子群を同定する事が必須です。
これまでと今後の研究方針
これまでの転写制御因子の研究は、世界中の様々な研究グループにより個別に行われ、様々な生物種において様々な制御機構が明らかとなってきました。これらの研究成果を利用した物質生産などの応用分野では、ある特定の転写因子の機能を変更することで、ある物質生産能を向上させてきました。しかし不十分であるケースが多く、発展性に乏しいのが現状です。この壁を超えるためには、ゲノム転写制御ネットワーク全体の理解および再構築(リモデリング or リデザイン)が必要であると考えています。
しかしながら、ゲノム全体かつすべての転写制御因子を対象とした、生物丸ごとを理解するための研究はありませんでした。個々の制御因子の解析では生物の部分しか分かりませんが、ひとつの生物の全因子を解析する事で、初めて生物の仕組みの全体が理解できます。そこで、私たちはGenomic SELEX法を開発し、大腸菌をモデル生物として簡便かつ網羅的にゲノム全体を対象として転写制御因子を解析する事を可能とし、実践してきました。その結果、1つの生物を丸ごと理解するゲノム転写制御機構の解明が現実的になってきました。
島田は学生時代から石浜 明 教授の研究に従事し、Genomic SELEX法の確立に携わってから、おおよそ20年が経過しました。大腸菌の転写因子は全部でおよそ300種類ありますが、Genomic SELEX法を用いて標的がひとつも分からない機能未知転写因子の機能について10種類以上を明らかとしてきました。一方で、20種類以上の機能が既知とされた転写因子についても新規な転写ネットワークを同定し、それらの新規機能を学術論文として報告してきました。興味深い事に、これまでに機能が分かったとされていた転写因子であっても、それは部分的な役割が理解されているだけであり、Genomic SELEX法を用いて改めてゲノムワイドに解析する事により、ゲノム全体に対する役割の全体像が明らかにしてきました。
[H-NSによるゲノム遺伝子発現の抑制化の解除モデル]
Akira Ishihama and Tomohiro Shimada. FEMS Microbiology Reviews. (2021)より
研究の歴史の中で、特定の遺伝子への制御が理解された事で、分かった、とされ、それ以上の解析がなされていない 転写制御因子が数多くあります。このような転写因子の中には、細胞システムの制御の根幹に携わっているものも多く、生物種間でも保存された重要な機能の制御に関与している事があります。この明治大学 農学部 ゲノム微生物学究室では、そのような機能既知転写因子も含めて、積極的にGenomic SELEX法を用いて再解析し、新たな転写ネットワークを明らかにしていきたいと思っています。私たちはゲノム転写制御機構の解析を通じて細胞システムの理解と応用(ゲノム転写ネットワーク全体の理解と再構築)を目指しています。
ゲノム転写制御機構の解明から、細胞システムの理解へ (研究紹介)
TEC (Transcription factor profiling of Escherichia coli)
Genomic SELEX法を用いて解析した転写因子のゲノム上結合領域の情報は、TECデータベースを介して世界に公開しております。このデータベースでは、転写因子の標的遺伝子群の探索や、標的プロモーターに結合する転写因子の探索、また、転写制御ネットワークの可視化、などができます。島田はそのデータベースの運営に携わっております。
TECデータベースはこちら
Genomic SELEX法を用いた転写因子の機能解析から明らかとなった細胞システムの合理性の例
RutR(YcdC)の転写制御ネットワーク
研究開始当初、機能未知であった転写因子YcdCについて、Genomic SELEX解析により、ゲノム上の支配下遺伝子群の同定を試みました。その結果、グルタミン酸からピリミジン合成の遺伝子群およびピリミジン・プリンの分解遺伝子群等を制御している事が示唆されました。ピリミジンやプリンは核酸の構成成分です。また、その他の解析手法と併せて、YcdCはピリミジンのウラシルやチミンを感知している事を同定しました。さらに、ピリミジンの合成遺伝子群を活性化する一方で、ピリミジン・プリンの分解遺伝子群を抑制化している事が分かりました。これらの結果を統合して、YcdCは細胞内のピリミジン(ウラシル・チミン)の濃度を感知してピリミジンの生合成経路を活性化し、ピリミジン・プリンの分解経路を抑制化する転写因子である事が分かりました(図)。現在ではYcdCはRutR (Pyrimidine utilization regulator)と命名されています。本研究から、上述のように機能未知の転写因子YcdCの機能を明らかとすると同時に、細胞システムとしては、ピリミジンの合成経路と分解経路が、RutRを介してピリミジンの細胞内濃度に連動させて相反して制御されている、という事が分かりました。
RbsRの転写制御ネットワーク
RbsRはリボースを感知して、リボースの取り込みおよびリボースをリン酸化するための遺伝子群を抑制化するための転写因子であることが分かっていました。Genomic SELEX解析でゲノム上の結合領域の同定を試みた結果、新規制御下遺伝子群が多数同定され、RbsRはリン酸化されたリボースからプリンの合成経路をコードする遺伝子群を抑制化し、プリン・ピリミジンの再利用経路をコードする遺伝子群を活性化する事が分かりました(図)。リン酸化されたリボースはプリンの生合成のための基質となりますので、従来のリボースの取り込みとリン酸化の機能と併せて、プリンの生合成経路も制御することは、実に合理的です。また、合成経路と再利用経路を相反して動かす事も、合理的なシステムです。
ここで紹介したように、機能の既知・未知にかかわらず、Genomic SELEX法を用いて転写制御因子とゲノムDNAの相互作用を解析することで、新規制御下遺伝子群をゲノムワイドに同定し、転写因子の新規の役割を同定する事ができます。その結果を基盤として、遺伝子制御ネットワークが明らかとなり、細胞システムがいかに巧みに構築されているかが明らかとなります。詳細は研究業績をご覧ください。
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